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福岡地方裁判所柳川支部 昭和52年(ワ)46号 判決 1981年4月08日

原告

太田フミヨ

ほか二名

被告

千住正人

ほか一名

主文

1  被告千住正人は原告に対し、金四七七万一七五七円およびこれに対する昭和五〇年一月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  同被告に対するその余の請求を棄却する。

3  被告千住十四郎に対する請求を棄却する。

4  訴訟費用中、原告と被告千住正人との間に生じたものは三分してその一を同被告の、その余を原告の負担とし、原告と被告千住十四郎との間に生じたものは原告の負担とする。

5  この判決のうち原告勝訴部分は仮に執行することができる。

事実

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、各自金一六三〇万五四九五円およびこれに対する昭和五〇年一月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

三  請求原因

(一)  原告は次の交通事故(以下本件事故という)により傷害を受けた。

1  発生時 昭和五〇年一月二〇日午後七時三〇分ころ

2  発生地 福岡県大川市大字向島一九九八の四先路上

3  加害車 自動二輪車(一佐い一二五九)

4  運転者 被告千住正人(以下被告正人ともいう)

5  事故の態様 右事故発生地を歩行中の原告に対して、被告正人運転の同人所有の加害車両が衝突した。

(二)  原告の受傷および治療経過

本件事故により原告は全身打撲、右尺骨々折、右四指中手骨々折、左上腕骨々折の傷害を負い、事故当日より六月一〇日まで高木病院に、六月一〇日より七月一二日まで百武整形外科病院に各入院、その後同病院にて通院加療を受けた後、一二月二日より三〇日まで森田整形外科病院に入院(入院合計二〇三日間)、その後現在に至るまで右森田整形外科病院にて通院加療中である。

(三)  本件事故による原告の後遺障害

原告は事故後右肘関節、右前腕、右手関節、右手指、左肩関節に顕著な機能障害、頸部痛、右前腕部のしびれ、両側混合性難聴等の障害を残し、現在に至るも就労できず将来とも終生就労の可能性を失なつた。これは本件事故によるものである。

なお原告は昭和五一年九月二〇日佐賀県農協共済連合会により後遺障害第一〇級の認定を受けた。

(四)  被告らの責任

被告正人は本件加害車両の所有者であり、被告千住十四郎(以下単に被告十四郎という)は本件加害車両の管理費用負担者であり且つ親権者であつて、いずれも加害車の運行を支配していたものとして自賠法三条の運行供用者の責を負う。

(五)  損害額(総計金二〇一二万五一五九円)

1  治療費関係費合計 金一九四万六七六四円

(イ) 病院治療費 金一三三万六八四〇円

(昭和五一年九月三〇日迄の分)

(ロ) 付添看護料 金四七万二八二四円

(ハ) 入院雑費 金八万一二〇〇円

四〇〇円×二〇三日(入院日数)=八万一二〇〇円

(ニ) マツサージ代 金一万八二〇〇円

一三〇〇円×一四回=一万八二〇〇円

(ホ) 通院費 金三万七七〇〇円

二六〇円(バス往復代金)×一四五日=三万七七〇〇円

2  休業損害および逸失利益 一、二一六万八三九五円

原告は、入通院期間中就労できなかつたのみならず、前記(三)の後遺障害により、現在および将来に渡り終生就労の可能性を失なつた。

六七歳まで二四年間就労可能であるとして、原告が本件事故により被つた逸失利益は次のとおりである。

六万七四〇〇円(昭和四七年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・労歴計の年齢別平均給与額を一・一倍したもの)×一二×一五・〇四五(新ホフマン係数)=一、二一六万八三九五円

3  慰藉料 三四一万円

入通院慰藉料 一四〇万円

後遺傷害慰藉料 二〇一万円

4  弁護士費用

原告は、本訴を原告代理人に委任して、その費用として金二六〇万円を支払うことを約した。

(六)  損益相殺(総計金三八一万九六六四円)

原告らは本件事故に関し、被告らより付添看護料四七万二八二四円を、自賠責保険より病院治療費三二万七一七六円および後遺傷害慰藉料二〇一万円をそれぞれ受領し、又病院治療費残額一〇〇万九六六四円は久留米社会保険未払分であるから、前項の損害額にこれらの金員を充当する。

(七)  よつて、被告らは原告に対し、各自総計残金一六三〇万五四九五円およびこれに対する本件事故の翌日である昭和五〇年一月二一日から支払いずみに至るまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

四  請求原因に対する答弁

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実は知らない。

(三)  同(三)の事実のうち原告が後遺障害第一〇級の認定を受けた点は認め、就労不可能との点は否認する。

(四)  同(四)の事実のうち、被告正人が加害車両を所有していた点は認め、被告十四郎が管理費用負担者で加害車両の運行を支配していたとの点は否認する。

(五)  同(五)の事実のうち1の(イ)(ロ)の損害は認め、その余は知らない。

(六)  同(六)の事実は認める。

五  抗弁(過失相殺)

仮りに本件事故につき被告らに何らかの責任があるとしても本件事故発生については原告の過失も寄与しているのであるから、賠償額算定につき斟酌すべきである。

すなわち、原告は幅員約八・一メートルの道路を横断中に被告車両と衝突したものであるが、道路を横断歩道によらず歩行横断せんとするときは、進行して来る車両のあることを十分予想し、道路の左右を注視し歩行の安全を確認しつつ横断すべき注意義務があるのにこれを怠り、被告車両が接近しているのに拘わらずこれを注視せず慢然と道路中央に進出したため、被告正人運転の被告車両と衝突したものであつて、原告の右のような過失も本件事故の一因をなしているものであるから、本件賠償額算定につき、原告の過失を斟酌すべきである。

六  抗弁に対する答弁

抗弁事実は否認する。すなわち原告は道路横断中ではなく道路の端を歩行中であつた。

七  証拠〔略〕

理由

一  本件事故の発生(請求原因(一)の事実)は当事者間に争いがない。

二  原告の受傷等(同(二)の事実)については、いずれも成立に争いない甲第二号証、第三号証、第四号証の一ないし六、第五号証の一ないし五、第六号証の一ないし一三、乙第二号証、第三号証、第七号証の一、二、証人百武進、同森田辰夫および原告本人(第一、二回)の各供述によつて認められ、これに反する証拠はない。

三  原告の後遺障害(同(三)の事実)について。

前記乙第七号証の二、甲第三号証、成立に争いない甲第七号証、証人森田辰夫、同片井憲三、原告本人(第一、二回)の各供述、鑑定人片井憲三および同井上博の各鑑定結果によれば、(イ)医師森田辰夫は昭和五一年七月二四日の診断で右肘関節、前腕、手関節、左肩関節の機能を測定し、後遺障害として頸部より両上肢に放散する疼痛、右前腕の回内回外運動障害と疼痛、左肩関節の著名な運動制限と疼痛、耳鳴り等の症状を挙げ、右後遺障害は同年五月二五日に固定したとして「疲労しやすく就労が困難である」との判断をしていること、(ロ)その後同年九月二〇日に原告は佐賀県農協共済連により後遺障害第一〇級の認定を受けた(この点は当事者間に争いがない)が、これは前記左肩関節の著名な運動制限が主として考慮されたものと思われること、(ハ)森田医師は翌昭和五二年八月一七日の診断で肘関節、前腕、手関節、左肩関節の機能を再度測定し、(イ)とほゞ同一の数値を得て「今後肉体労働不能と考える」との判断をしていること、(ニ)同医師はその後昭和五三年一二月七日に前記個所に加えて右手第二指ないし第四指の関節にも屈曲障害があつて巧緻運動ができないことを知つたこと、(ホ)井上鑑定人は昭和五五年一一月一三日に前記障害について検査した結果、左肩関節については前方、側方、後方各挙上および内転において運動領域が健側に比し大むね二〇ないし三〇%であつて従来の森田医師による測定値と大むね同様ないし幾分低下したものであること、右肘関節、前腕回旋、手関節については大むね健倒と同じであること、右手各指については大むね七〇ないし八〇%前後であること、頸部にもある程度の運動障害があることを各々指摘していること、(ヘ)耳の関係では昭和五三年一二月二一日に川崎医師が聴力を測定して左四〇デシベル、右四五デシベルの聴力損失と耳鳴りがある旨指摘していること、(ト)原告は事故前内縁の夫と同棲しつつ木工会社で襖張り等の仕事をしていたが昭和五〇年一〇月に百武医師による治療を一応終えた段階で前の仕事に就こうとしたがうまくできずに断られ、以後就職できず、家事の面でも昭和五三年九月の時点で困難を訴えていたが、その後家具店での掃除等の軽作業に就けるようになり、昭和五六年二月の時点で家事の面でも少しは楽になつたと述べていること、なお耳鳴り、頭痛やしびれは依然として訴えていること、が各認められる。

以上を基にして現在における障害の程度をみるに、左肩関節の著しい運動障害および右手第二ないし第四指の運動障害が残存しており、前者はそれ自体第一〇級に相当すること、後者は等級上必ずしも高い評価は与えられていないが、家事や肉体労働における巧緻運動を著しく阻害するものであることは否定できず、これらに他の症状を併せ考慮して、<労働能力の約四〇%程度を喪失したもの(後遺障害第八級ないし第九級に相当)と認められる>そしてこれらはいずれも本件事故と無関係なものとは解されないが、原告の回復意欲の不足、加齢現象等も寄与原因の一つとして影響しているものと考えられるので、被告の有責範囲については後に損害の算定に関してさらに検討する。

四  被告らの責任(同(三)の事実)について

被告正人が加害車両(自動二輪車)の所有者であつたことは当事者間に争いがなく自賠法にいう運行供用者としての責任を負うこと明らかである。次に被告十四郎の責任についてみるに、証人千住チサおよび被告正人本人の各供述によれば、本件加害車の購入については正人が昭和三三年生まれであるため父である十四郎が許諾したものではあるが、購入代金八万円のうち四万円は右正人の兄が従来所有していた中古車を売却した金をあて、残四万円は正人がアルバイトで得た金をあてること、その後の自賠責保険の掛金や維持費についても正人のアルバイトの金でまかなわれていること、右アルバイトについては学校の禁止する夜間作業も含まれているが十四郎ら両親はこれを黙認していたこと、また加害車は正人がアルバイト先への通勤ないし遊びのためにのみ乗つていたことが各認められる。以上によれば十四郎は加害車の購入、維持資金を正人が取得するためのアルバイトをすることおよび購入すること自体につき親権者としてのいわば社会的責任を負つてはいるものの、それ以上に加害車の管理費用を負担し、その運行を支配していたとまでは認め難く、自賠法にいう運行供用者にはあたらない。

五  損害

(一)  原告主張の治療関係費のうち、病院治療費金一三三万六八四〇円および付添看護料金四七万二八二四円については当事者間に争いがない。

入院雑費については、合計入院日数二〇三日であること前記認定のとおりであり、原告主張のとおり一日当り四〇〇円、合計金八万一二〇〇円を相当と認める。

通院費については、合計通院日数が少なくとも一二二日であること前記認定のとおりであり、原告本人の供述(第二回)によれば一回通院費が少なくとも二六〇円と認められるので、合計金三万一七二〇円は要したものと認められるが、これを超える部分については本件全証拠によるも認めるに足りない。

マツサージ代については、原告本人の供述によれば一回少なくとも一三〇〇円、合計一四回治療を受けたことが認められるので、合計は原告主張のとおり金一万八二〇〇円となる。

(二)  休業損害および逸失利益

まず原告の収入についてみるに、成立に争いない乙第八号証および原告本人の供述(第一、二回)によれば、原告本人は事故当時木工会社にパート勤めで日給一七五〇円を得たり寿司屋のアルバイトをするほかは同棲中の内縁の夫の収入で生活していたこと、その後木工会社の職を失ない内縁の夫とも別れ、現在単身生活で家具店の掃除などをして日給二〇〇〇円を得るほかは生活保護を受けていることが認められる。右によれば原告の現実の稼働収入は少ないが、これをもつて直ちに休業損害等の算出の基礎とすることは相当でなく、このほかに原告は同棲または単身で家事労働に従事し、その面での支障を生じていたことをも考えると、原告の労働能力としては賃金センサスにおける産業別企業別全平均の対応年額の平均賃金相当のものを取得し得たとみるべく、これを休業損害等の算出基礎とするのが相当である。そして賃金センサスによれば昭和五〇年度(原告四四歳)は年合計一二六万九四〇〇円、昭和五一年度(原告四五歳)は年合計一四四万六〇〇〇円、昭和五二年度(原告四六歳)は年合計一五九万二〇〇〇円となる。

ところで原告の前記後遺障害による労働能力喪失割合は前記のとおり四十%と解されるが、この寄与原因についてみるに、前記甲第七号証、証人片井憲三の供述および片井、井上両鑑定によれば、まず主症状である左肩関節と右手第四指の関節の運動障害は、元来骨折治療後徐々に関節を運動させることによつて経時的に回復するのが通例であるところ、疼痛のため意欲的に運動させることをせず、そのために筋や頸帯の拘縮がかえつて助長されていつたことに加え、原告の加齢現象や外傷性神経症などが寄与原因としてあげられる。これらのうち加齢現象は本件事故との因果関係を欠いているが、運動意欲の欠如や外傷性神経症は本件事故との因果関係を全面的に否定するのは相当でない。また右手第四指以外の指の関節の運動障害についても第四指との関連で同機の拘縮が生じたものと解される。また耳鳴りについては本件事故以外の寄与原因は認められない。

以上を考慮して、原告の労働能力についての被告の有責範囲は、事故後一ケ年は治療等のため一〇〇%、その後の二ケ年は四〇%、さらにその後稼働可能年齢たる六七歳までの二〇年間は二〇%を相当と認め、前記平均賃金を基礎として右期間の休業損害等を算出し、本件事故当時の現価(ホフマン方式により中間利息を控除)を求めれば、次のとおりである(合計六二〇万八三八九円)。

事故後一年につき

一二六万九四〇〇円×〇・九五二×一=一二〇万八四六八円

その後の二ケ年につき

一四四万六〇〇〇円×〇・九〇×〇・四=五二万五七六五円

一五九万二〇〇〇円×〇・八六九×〇・四=五五万三三七九円

その後の二〇ケ年につき

一五九万二〇〇〇円×(一万五〇四五-二七三一)×〇・二=三九二万〇七七七円

(三)  慰藉料

前記治療経過、後遺障害の程度を被告の有責割合その他の事情を考慮して原告の請求どおり三四一万円を相当と認める。

(四)  以上の合計額は金一一五五万九一七三円となる。

六  過失相殺(抗弁)について

成立に争いない乙第四号証の一、二、第一〇号証の一、二、証人森田信俊、同江崎一正、原告本人(第一回)および被告正人の各供述によれば、本件現場はほゞ東西に走る幅員八・一メートル(中央線で区分された片側車線幅約四メートル)の歩車道の区別のないアスフアルトの道路上で商店街をやや外れ、材木店その他人家が進路周辺に並び、夜間交通は少なく照明はやゝ明るい程度であること、被告正人は南側車線を東から進行してきたこと、衝突地点自体の痕跡はないが、中央線の南約一メートルの位置に血痕があり、その三・二メートル西方から長さ三・八メートルにわたり加害車が路面に残した経過痕が中央線の端二・三メートルの位置に中央線に平行して存在し、そのほゞ西方延長に断続的に同種の経過痕が存在すること、加害車は車体左側に擦過の痕跡があること、附近住人の古賀チヨノは実況見分時に原告が前記血痕付近を頭にして南方に(すなわち道路を横断する姿勢で)倒れていた旨指示していることが認められ、これらを覆えすに足る証拠はない。また証人古賀成則は右古賀チヨノの指示と異なり、事故直後原告はもつと南に倒れており、道路南端から三〇センチメートル辺に足があつた旨供述する。

ところで加害車と原告の衝突地点について検討するに、衝突後の原告の転倒地点は右のように相異なる指示ないし供述が存在するのであるが、転倒地点即衝突地点とは限らないことを考えれば、本件において重視すべきは前記加害車の路面擦過痕と加害車の車体の擦過痕であり、これに加え加害車の車体が路面に接触する以前に進行方向を変えた形跡が窺われないことよりすれば、衝突地点は前記擦過痕の東端よりも東方でかつこれより中央線寄り、すなわち南側車線のほゞ中央であつたと解され、原告の過失は否定できない。

他方で被告正人は原告が急に横断してきた旨供述するところ、その根拠は必ずしも確実でなく、横断中であつたかどうかはともかくとして、右被告において前方注視義務を怠つたことが事故の主因であろうことも否定できない。

以上を考慮して過失相殺割合は三〇%と解するのが相当であり、前記五の損害額より相殺すれば金八〇九万一四二一円となる。

七  損益相殺および弁護士費用

被告において自賠責保険金を含め合計金三八一万九六六四円を填補ずみであることは当事者間に争いがなく、これを右六で得た金額より控除すれば残額は金四二七万一七五七円となる。そして弁護士費用としては金五〇万円が相当と認められるので、これを加えれば四七七万一七五七円となる。

八  結論

従つて被告正人は原告に対し、金四七七万一七五七円とこれに対する事故発生の翌日である昭和五〇年一月二一日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるので、右の限度で右被告に対する請求を正当として認容し、その余を失当として棄却し、被告十四郎に対する請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 平湯真人)

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